今週のお題:父の日

今週のお題の父の日にちなみ、父と私のことについて。

父のこと

父は、私が物心ついたころから自営業をしていました。その前は東京でサラリーマンをしていましたが、埼玉県に引っ越して以来通勤時間の長さにより身体を壊しそうになり、ちょうどその頃声をかけられていた自動車修理の商売をするため脱サラしました。
父は、修理の仕事でたまに怪我をして帰ってきました。腰をやられたり、膝がまがらなくなったり、でも病院嫌いで病院に行かずに治そうとします。酷かったのが、顔に火花がかかって火傷を負った時でした。幸いなことに目は無事だったのでよかったのですが、それでも病院に行こうとはしません。皆でとても心配したのですが、みるみる回復し、痕も残らず治ってしまいました。このことは後々家族の中で笑い話になり、姉などは父のことを「ヒトデだ。ヒトデだ。」と言って皆で笑っていました。
そんな父も数年前60歳を機に現役を引退。今は若い頃にできなかった趣味を堪能しながら悠々自適の生活をしています。

父と私

父は、私が母のお腹にいるとき男の子だとばかり思っていたようで、女の子が生まれると「なんだ女か。」と言っていたそうです。それでも、名前も父が付けてくれ、小さい頃からとても可愛がってくれました。
たくさん買ってくれたおもちゃはミニカー(笑)。バケツ一杯くらい持っていました。今考えると収集癖のある父が私をダシにして集めていたような。。。でもミニカーで遊ぶのは楽しかったからまあよしとします。

とても可愛がってくれるそんな父が、私のことをとても怒った記憶は2回あります。
1度目は、引越しをした先の小学校で周りに馴染めず、学校に行きたくないと言ったとき。
2度目は、就職して何年か過ぎたあと、一人暮らしがしたいと言ったとき。
どちらも私のわがままです。
1度目は少しずつ学校にも馴染めて自然と解決しました。
2度目は、ちょっとした冷戦状態に陥りましたが、頑固一徹な父に似た頑固な私の粘り勝ち。最終的に許してくれました。後に聞いた話ですが、その頃同居していた祖母に認知症が出始めていて、このまま私が同居していたら祖母の面倒は私が看ると言って仕事も辞めてしまったのではないか、そんなことになる前に家を出ていて良かったかもしれない、と父が言っていたそうです。父はほんとうに私のことを大事に思っていてくれたのだとしみじみとした気持ちになりました。

大好きなお父さんへ

お父さん、小さい頃からずっと可愛がってくれてありがとう。いろいろ心配かけたかもしれないけど、娘は幸せです。今はあまり会えないけど、お父さんのことは気にかけています。ずっと健康でいてくださいね。